文藝春秋と作家の時代

文藝春秋と作家の時代

「頼まれて物を云ふことに飽いた」——。流行作家・菊池寛のこの想いこそが、新しい雑誌の原点であった。彼が目指したのは、読者や編集者の目を気にすることなく自らの言葉で語る場、すなわち文壇のしがらみから解き放たれた雑誌だったのである。その創刊号には、芥川龍之介、川端康成、横光利一など、後の文壇を担う若き才能たちが集結した。連載作品は言うに及ばず、美しい表紙や粋な挿絵、時代の空気を切り取った広告までもが、『文藝春秋』という時代の証人なのである。

 

文豪が書き、巨匠が描いた。雑誌『文藝春秋』という舞台

右に掲げるのは、戦時下の緊張が色濃くなり始めた昭和15年(1940年)3月の『文藝春秋』特別号である。誌面では「芥川作品発表」という報が読者の目を引くが、それ以上に我々の視線を奪うのが、表紙を飾る梅原龍三郎の絵画であろう。昭和の洋画界を代表する巨匠は、フランスで培った色彩感覚と日本の豪快な筆致を融合させた画風で知られる。この中国風景を描いた一枚にも、生家である染物問屋で親しんだ図案や色彩の影響が窺える。さらに頁をめくれば、梅原と双璧をなした盟友であり、ライバルでもあった安井曽太郎の、静謐ながらも力強いデッサンが顔を覗かせる。文豪の筆と巨匠の絵筆が織りなす、贅沢な共演を楽しみたい。ちなみに、中面の「東京ハット」の広告も洒脱で見逃せない。当時の都市文化の洗練を静かに伝えているかのようだ。

 

芥川龍之介が暴いた、人間の「エゴ」のかたち

『文藝春秋』創刊者の菊池寛と芥川龍之介は無二の親友であった。芥川は創刊当初の文藝春秋を人気作家として支えたが、その早すぎる死を悼んだ菊池は1935年、彼の名を冠した「芥川龍之介賞」を創設。これにより、芥川の名は文藝春秋と共に日本の文学史に永遠に刻まれることになった。

そんな芥川の、人間心理への深い洞察が光るのが短編『枯野抄』である。本作は松尾芭蕉の臨終に集った弟子たちが、師の死を前にしながらも、自己本位な考えに囚われる姿を描く。しかし、彼らは決して特別な悪人ではなく、誰もが持つエゴイズムを抱えた、ごく普通の人間なのだ。清濁併せ持つ人間のどうにもならない一面を突き付けられるからこそ、本作は私たちの心を強く揺さぶるのであろう。

今回は本作のほかにも、『文藝春秋』を彩った文豪たちの作品を数多くご紹介する。文豪の文章はもとより、美しい表紙や挿絵、雑誌との関わりに思いを馳せるのも、古書ならではの楽しみ方である。

 

【編集後記】私たちのコレクションはある方が人生をかけて集めた愛蔵品です。その整理をしつつ商品を選んでいますが、恥ずかしながら私自身は文学に疎い人間。
太宰治は映画(小栗旬主演のもの)、芥川龍之介は小学校の時に読んだ偉人漫画で知る程度です。文芸を愛する方には失礼と承知の上で、知識なき素人ならではの視点でご紹介できる本もあると信じ、本紙を編みました。お手柔らかに。(増田)