小村雪岱―その名を知らずとも、我々は彼の「美」に出会っている

小村雪岱―その名を知らずとも、我々は彼の「美」に出会っている

 雅号や洗練された画風から、江戸時代の絵師と勘違いすることもあるが、小村雪岱(こむらせったい/1887-1940)は明治、大正、昭和の激動期を鮮やかに駆け抜けた表現者である。しかし、彼が遺した意匠は、一世紀を経た今なお、我々の日常の風景に溶け込んでいる。明治、大正、昭和の激動期を駆け抜けた彼は、江戸の情緒をモダンに昇華させた「挿絵画家」であり、名だたる役者に愛された「舞台美術家」であったが、同時に現代にも続くブランドの美学を決定づけた「稀代のクリエイター」でもあった。

 

 

時代の「粋」を形にした装幀の極致

 近代日本の装幀史において、夏目漱石と橋口五葉が『吾輩は猫である』などの名作を通じて築き上げた黄金のコンビに比肩し得るのが、泉鏡花と小村雪岱による運命的な共鳴である。当時の文壇では、現実をありのままに写し取る自然主義文学が台頭し、それに呼応するように、安価で量産を重視した「写真製本」が主流となりつつあった。文字が単なる記号として大量消費される時代の奔流のなかで、二人はその潮流に敢然と抗うかのように、本という存在そのものを「総合芸術」へと高める独自の美意識を追求したのである。

 鏡花が紡ぐ怪奇幻想の文学世界を、雪岱はその繊細な筆致で汲み取り、比類なき装幀美へと昇華させたのである。潔い余白と洗練された線描、そして静謐な色使い。雪岱が生み出したこの独自の様式は、後に「雪岱調」と呼ばれ、今なお日本の意匠の規範となっている。彼が描いたのは、単なる図案ではなく、時代の「粋」そのものであったといえる。

『遊里集』小村雪岱 装丁・見返し絵  出版社: 春陽堂 出版日: 大正5年(1916年)11月(初版)

 表紙は臙脂色の題箋に浮かぶ金箔押しのタイポグラフィ。緑の唐草模様の愛らしさと、100年の経年変化が放つアートピースとしての風格が感じられる。

前後の見返しに雪岱の絵が入っており、前には、三日月を仰ぐ女性の「後ろ髪」と、襖の先に残された「赤い扇」。畳の縁が描く強烈な遠近法が、画面に圧倒的な奥行きとドラマを生んでいる。

見返しの後ろは、障子の端正な格子模様(モダン・グリッド)を背景に立つ、黒い着物のシルエット。直線の隙間から覗く瓦屋根のトリミングと、髪飾りの「赤」のアイキャッチが完璧な計算のもとに配置。

 

描かれた「理想」の系譜―美人画というまなざし

 古今東西、いつの時代も「美人画」は多くの作品が残されてきた。江戸時代には浮世絵の主要な題材として、役者絵や風景画とともに隆盛を極め、近代以降も「夢二式美人」で一世を風靡した竹久夢二らによって、独自の進化を遂げていく。

 なかでも小村雪岱が描く女性像は独特である。柳の枝越しにのぞく繊細な足もと、涼やかな切れ長の瞳。凛とした芯の強さを感じさせながらも、その後ろ姿には言いようのない艶っぽさと、どこか切実な寂寥感が漂う。

西洋の「美しき女性」が往々にして貴族の肖像画や写実的な風俗画として記録されたのに対し、日本の美人画は必ずしも写実的な肖像ではない。多くは作者が抱く理想の結実であり、妻や恋人をモデルに据えつつも、その時代の空気を纏わせた「憧憬の器」であったといえる。

色紙 小村雪岱

縞模様の小紋に鮮やかな青い帯を締めた女性が、松葉がハラハラと散る地面に腰を落としている姿。

色紙 小村雪岱

直線で構成された屋根や、細かく引かれた緑の簾(みす)のライン。その冷徹なまでに幾何学的な「面と線」で区切られた画面のわずかな隙間から、外を窺うように顔を覗かせる女性。下部には静かにうねる青い波が描かれています。

色紙 小村雪岱

深い藍色の夜空に、ぽつりと浮かぶ鋭い三日月と星々。大きな橋の欄干に寄りかかり、夜の静寂を見つめる女性の後ろ姿。

雪岱の代名詞とも言える「欄干の斜めのライン」が画面を大胆にぶった切る、ダイナミックな平行線の構図です。あえて顔を見せず、完全に背中を向けた後ろ姿と、黒い帯に施された波(または柳)の模様だけで女性の情緒を表現している。

 

 

 同じ時代を生きながら、作家によって描き出される「美」の形は驚くほどに異なる。画面の向こう側に、一人の男としての作家のまなざしが透けて見えるとき、歴史に名を残す巨匠たちもまた、私たちと同じ体温を持つ人間として身近に感じられるはずだ。それぞれの作家の理想を見比べてみてほしい。

 

 

 

 

【編集後記】オンラインでも取り扱っている「小村雪岱 デザイン大鑑」は、著者の山田先生が十有余年の歳月を費やして編み上げた、まさに執念の結晶とも言える最後の一冊です。恥ずかしながら、私はこの本を手にするまで小村雪岱という名を知りませんでした。最初は江戸時代の浮世絵師だと思い込んでいたほどです。しかし、ページをめくるたびに現れる粋でモダンな世界に、気がつけばすっかり虜になってしまいました。(増田)

 

 

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