「エウレカ(発見した!)」は、アルキメデスが叫んだとされるギリシャ語の感嘆詞です。現在の「ユリイカ 詩と批評」は青土社(せいどしゃ)から発行されており、現代詩や文学だけでなくサブカルチャーなど新たな領域にも意欲的に取り組み、常に読者へ「新しい発見」を提供し続けているのです。創刊者である伊達得夫は採算や既存の文壇の評価を一切無視し、ただ純粋に「本物」だけを選び抜く力を持っており、ユリイカの言葉通り、才能ある若い詩人たちを数多く発掘し、世に送り出していたのです。 伊達得夫は、なぜ「詩の専門誌」を創ったのか。 伊達得夫は、「他者の才能」を嗅ぎ分ける天賦の審美眼を持つ人物であった。彼が生きた戦後の昭和三〇年代は、旧い価値観が音を立てて崩壊し、誰もが新しい表現を渇望していた時代である。伊達は、その精神的な空白を埋め、新たな時代を切り拓く力は「詩」にこそ宿ると固く信じていた。彼の理念は明快である――「採算を度外視してでも、いささかの妥協もない、純粋な詩のための“実験室”を創る」。 彼は既存の文壇や商業主義からあえて距離を取り、若き才能たちがしがらみに縛られることなく、最も先鋭的な表現を発表できる「場」を、ほとんど独力で築こうとした。伊達にとって「ユリイカ」の出版とは、商業ではなく使命であり、ひとつの運動であった。彼が主宰した「書肆ユリイカ」は出版社であると同時に、夜ごと若い詩人たちが集い語り合う伝説的なサロンともなった。 谷川俊太郎をはじめ、今日では巨匠と呼ばれる詩人たちも、当時はまだ無名に等しい若者であった。伊達は彼らの才能を誰よりも早く見抜き、励まし、議論を重ね、そして赤字をも厭わず、彼らの詩集と『ユリイカ』を世に送り出し続けたのである。 伊達得夫には、戦後小林秀雄から原稿を託され、中原中也の没後詩集『在りし日の歌』の復刊に尽力したという縁がある。 サブカルチャーの元祖、植草甚一 「J・Jおじさん」こと植草甚一は、「理論」ではなく「好き」という純粋な衝動によって生きた“雑学の王様”であった。彼の驚くべき知識は、体系的な教育の成果ではなく、ただ好奇心と情熱に突き動かされた独学の結晶である。英語の原書を貪り読み、輸入盤のレコードを聴き込み、いち早く海外の新しい情報を収集する。その原動力は、分析でも方法論でもなく、ただひとつ――「これが好きだ」という、子どものように真っすぐな欲求であった。 60〜70年の欧米文化を、彼は難解な理論や批評の言葉ではなく、雑誌の切り抜きを貼り継ぐように紹介した。その「スクラップブック」的手法は、まるで文化の宝箱のように自由で瑞々しく、多くのクリエイターに「“好き”を貫くことの格好良さ」を教えたのである。「ユリイカ」は、そんな植草を“欠かせぬキーパーソン”として位置づけている。1977年ジャズ特集において、彼が巻頭言を寄せたのは偶然ではない。編集部は、理論家の言葉よりも、ジャズを心から愛する実践者の声こそが、読者を導く最良の入口であると確信していたのだ。 すなわち、「ユリイカ」という知のプラットフォームは、植草甚一の「雑学」や「スクラップブック」といった独自の手法、そして「好き」を貫くその生き方を、一つの「思想」として真正面から受け止め、記録し、総括したのである。 【編集後記】「これが好きだ」という熱量。結局のところ、人を最も突き動かす原動力は、この純粋な思いにほかならない。仕事柄、さまざまな業種の方々とお話しする機会があるが、己のスタイルを確立し、自らの道を確かに歩んでいる人ほど、この「好き」という欲求に誠実であると感じる。 私たち ANTE Vojnovic div. は、「人が生きることを事業化するチーム」という理念を掲げているが、その根底にあるのもまた、ひとりひとりの“好き”を信じる力である。時代が移ろっても、愛だけはつねに普遍なのだ。(増田)