小村雪岱―その名を知らずとも、我々は彼の「美」に出会っている

小村雪岱―その名を知らずとも、我々は彼の「美」に出会っている

 雅号や洗練された画風から、江戸時代の絵師と勘違いすることもあるが、小村雪岱(こむらせったい/1887-1940)は明治、大正、昭和の激動期を鮮やかに駆け抜けた表現者である。しかし、彼が遺した意匠は、一世紀を経た今なお、我々の日常の風景に溶け込んでいる。明治、大正、昭和の激動期を駆け抜けた彼は、江戸の情緒をモダンに昇華させた「挿絵画家」であり、名だたる役者に愛された「舞台美術家」であったが、同時に現代にも続くブランドの美学を決定づけた「稀代のクリエイター」でもあった。

 その真価を象徴するのが「資生堂」との深い関わりである。初代社長・福原信三は、自社のデザインに日本独自の高潔な美意識を吹き込むべく、雪岱を意匠部へと招き入れた。1921年に発表された香水「菊」のボトルデザインは、その白眉といえる。余分な装飾を削ぎ落とした静謐な瓶に、日本を象徴する菊の紋様を配したラベル。その洗練された佇まいは、東洋の美をモダンへと導く先駆的な仕事であった。さらに特筆すべきは、現在も資生堂の商品や宣伝物に使用されている「資生堂書体」の存在である。100年前の意匠部で雪岱が描いた情緒豊かなレタリング、いわゆる「雪岱文字」こそが、その揺るぎない源流となった。一企業の枠を超え、日本のグラフィックデザインに品格という魂を吹き込んだ雪岱。彼を知ることは、我々が日常で無意識に触れている「美」の正体を知ることに他ならない。

 

時代の「粋」を形にした装幀の極致

 近代日本の装幀史において、夏目漱石と橋口五葉が『吾輩は猫である』などの名作を通じて築き上げた黄金のコンビに比肩し得るのが、泉鏡花と小村雪岱による運命的な共鳴である。当時の文壇では、現実をありのままに写し取る自然主義文学が台頭し、それに呼応するように、安価で量産を重視した「写真製本」が主流となりつつあった。文字が単なる記号として大量消費される時代の奔流のなかで、二人はその潮流に敢然と抗うかのように、本という存在そのものを「総合芸術」へと高める独自の美意識を追求したのである。

 鏡花が紡ぐ怪奇幻想の文学世界を、雪岱はその繊細な筆致で汲み取り、比類なき装幀美へと昇華させたのである。潔い余白と洗練された線描、そして静謐な色使い。雪岱が生み出したこの独自の様式は、後に「雪岱調」と呼ばれ、今なお日本の意匠の規範となっている。彼が描いたのは、単なる図案ではなく、時代の「粋」そのものであったといえる。

 

描かれた「理想」の系譜―美人画というまなざし

 古今東西、いつの時代も「美人画」は多くの作品が残されてきた。江戸時代には浮世絵の主要な題材として、役者絵や風景画とともに隆盛を極め、近代以降も「夢二式美人」で一世を風靡した竹久夢二らによって、独自の進化を遂げていく。

 なかでも小村雪岱が描く女性像は独特である。柳の枝越しにのぞく繊細な足もと、涼やかな切れ長の瞳。凛とした芯の強さを感じさせながらも、その後ろ姿には言いようのない艶っぽさと、どこか切実な寂寥感が漂う。

西洋の「美しき女性」が往々にして貴族の肖像画や写実的な風俗画として記録されたのに対し、日本の美人画は必ずしも写実的な肖像ではない。多くは作者が抱く理想の結実であり、妻や恋人をモデルに据えつつも、その時代の空気を纏わせた「憧憬の器」であったといえる。

 同じ時代を生きながら、作家によって描き出される「美」の形は驚くほどに異なる。画面の向こう側に、一人の男としての作家のまなざしが透けて見えるとき、歴史に名を残す巨匠たちもまた、私たちと同じ体温を持つ人間として身近に感じられるはずだ。それぞれの作家の理想を見比べてみてほしい。

 

【編集後記】「小村雪岱 デザイン大鑑」は、著者の山田先生が十有余年の歳月を費やして編み上げた、まさに執念の結晶とも言える最後の一冊です。恥ずかしながら、私はこの本を手にするまで小村雪岱という名を知りませんでした。最初は江戸時代の浮世絵師だと思い込んでいたほどです。しかし、ページをめくるたびに現れる粋でモダンな世界に、気がつけばすっかり虜になってしまいました。

本紙の制作を進めるなかで、静岡県掛川市にある「資生堂アートハウス」が、この六月末をもって閉館するという報に接しました。魅力に気づいた途端に閉館とは、いかにも雪岱らしい粋で切ない演出です。これも何かの巡り合わせ。土壇場で背中を押してくれた出会いに感謝して、最後の日までにその美をこの目に焼き付けに行こうと思います。(増田)

 

※今回ご紹介した書籍は、東京十月またはそぞろ書房でお楽しみいただけます。

ぜひお立ち寄りくださいませ。

 

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